チマヨ・ブランケット製品の老舗、オルテガ社の歴史
17世紀後半から18世紀初頭にかけて、ニュースペイン(現在のメキシコの前身)から北上して、Rio Grande リオ・グランデ峡谷北部(現在のアメリカ合衆国ニューメキシコ州チマヨ村)へやってきたスペイン系開拓者集団の中に、Gabriel Ortega(ガブリエル・オルテガ)という若者がいました。その当時、チマヨおよびその周辺地域は、ニュースペインにとって最後の未開拓地でした。勿論、アメリカ・インディアンと呼ばれている先住民は、そのずっと昔からこの地に住んではおりましたが・・・
辺境地での生活は厳しく、ガブリエルをはじめとする当時の人々にとって、自給自足は必然の事でありました。当然の事ながら、衣類、毛布、敷物などを作り出す機(はた)織りと、それらの材料を得る為の牧羊および紡績技術も、この地で暮らしていく為には代々伝えていくべき大切な事柄でした。
オルテガ家の初代当主ガブリエルたちが現在のチマヨに入植してから、二代目Manuel(マニュエル)、三代目Jose Gervacio(ホセ・ゲルバチオ)、四代目Jose Ramon(ホセ・ラモン)と代変わりはしても、生活様式はそれまでとさほど変わらずに伝え継がれてきたようです。オルテガ家の人々は、入植当時からずっと機織りや農耕をするなどして、自分たちの持っている物、自分たちの手で作り出せる物で、ほぼ自給自足に近い形で生活を間に合わせてきたのでした。
四代目ホセ・ラモンの息子Nicacio(ニカシオ、五代目当主)が生まれて数年後に当たる1885年、チマヨの南西約24kmにあるEspanola(エスパニョーラ)近郊に鉄道が敷かれ、物事は急速に変化しました。ニューメキシコ北部で隔絶されていたようなスペイン系移民と先住民(アメリカ・インディアン)の文化・生活様式に、アメリカ東部の文化・生活様式がどっと流れ込んできたのでした。トタン屋根、缶詰食品、ミシンetc・・・多種多様な生活用品が東部から持ち込まれ、やっとニューメキシコの人々にも、これらの製品をこの地に居ながら手に入れる事ができるような時代がやってきました。
それとは対照的に、鉄道でやってきた東部の人々は、自分たちとは全く異なるニューメキシコの風景、文化、生活様式に大いに驚きと興味を持ったのでした。そして、リーストラ(唐辛子を糸でつなげたリース)、先住民の素焼きの壷、手織りのチマヨ・ブランケットなど、ニューメキシコ名産の手工品を旅の土産物として、あるいは新しい商材として買い求め、東部へ持ち帰りました。
1918年、五代目ニカシオと妻Virginia(ヴァージニア)は、チマヨに雑貨店を開きました。店内には木機(きばた)を置き、日用雑貨などと共に、彼等が織ったブランケット類を販売するようになりました。そして、より多くの観光客がサンタフェやニューメキシコ州北部一帯を訪れるようになると共に、手織りのチマヨ・ブランケットの需要も増え続けていきました。
第二次大戦後、ニカシオの息子Jose Ramon(ホセ・ラモン、四代目と同名)とその妻Bernie(バーニー)、David(デービッド、六代目当主、2004年7月逝去)とその妻Jeanine(ジーニーン、1991年逝去)が、父ニカシオの事業に加わり、現在の店舗を構えました。経営は順調に発展し、拡大し続ける需要に応じる為、近郷近在に住む親類縁者を織り手として雇い入れるようになっていきました。彼等が織り上げたブランケットを素材にしたバッグ、コート、ジャケット、ベスト等を商品化し始めたのもこの頃でした。そして、雑貨店の経営は既に過去の物となり、現在のような商品構成の、チマヨ・ブランケットの専門店として広く知られるようになりました。
1964年に五代目のニカシオが、そして1972年にホセ・ラモンが他界し、1970年代中頃、六代目デービッドの経営に息子のAndrew(アンドリュー、現Master Weaver マスター・ウィーヴァー)とRobert(ロバート、現社長)が加わり、現在に至っております。
今日販売されている製品の大半は、チマヨおよびその周辺に住む織り手たちによって、昔ながらの製法でこつこつと家内工業的に生産されています。20世紀初頭からは、自前の紡績・染色作業を段階的に縮小し、現在では材料となる合成染料染めの羊毛糸を、外部の専門業者から仕入れています。
時代の移り変わりと共に、材料やデザインパターンは少しずつ変化してきました。しかし、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきた手織りの技術と誇りは、入植時代と変わらず、オルテガ社の製品一点一点の中に、今も脈々と生き続けています。そして今日もチマヨ周辺の村々で、彼等の素晴らしい伝統文化は、初代ガブリエルから数えて八代目に当たる若者たちに細々と、しかし着実に伝え継がれています。
(The Traditional Of Gabriel Ortega より訳・一部加筆/小林正茂)
<付記>
かなり大雑把ですが、オルテガ家の歴史をお伝えしました。これを読んでいただければ、「オルテガのインディアン・ベスト」などという言い方が、大変な間違いである事にお気付きだと思います。彼等の織るデザインの中には、確かにアメリカ・インディアン、特にナバホ族から影響を受けて変化してきた物が多々あります。 が、逆に、スペイン系入植者が北米大陸に羊を持ち込み、アメリカ先住民は彼等から羊と牧羊の方法を学んだという経緯もあります。(それ以前の先住民は、耐久性に乏しく変色しやすい綿糸で織っていたようです。)
更に、同じ手織りでも両者の織り方は全く違います。オルテガ社に代表されるチマヨ・ブランケットは水平の足踏み式木機で織られるのに対して、ナバホ族に代表されるネイティブ・アメリカンの織物は、垂直に織られています。
こうしてみると、オルテガに代表されるスペイン系のチマヨ・ブランケット(別名リオ・グランデ・ブランケット)とネイティブ・インディアンのブランケットは、文化的・歴史的な相互交換作用によって成り立ってきたと言えるのではないでしょうか。